駐夫・主夫としての心境

駐夫(ちゅうおっと)生活スタート! 17年12月、渡米しました!

 このたび、妻の米国転勤に伴い、幼い子ども二人を連れて、同行することを決断しました。所属組織の制度を用いて、仕事は休職し、主夫としての新たな生活が始まります。舞台は、ニューヨーク・マンハッタンの西岸を流れるハドソン川の対岸・ニュージャージー州です。

 

JFKから移動中の車内から見たヤンキースタジアム

 

 

 駐妻(ちゅうづま)という言葉は、すっかり人口に膾炙されています。その一方で、同行する夫の一般的な呼び名は存在していないのが実情でしょう。

 

 そこで、これからは自らを「駐夫(ちゅうおっと)」と名乗り、世に知らしめるための普及活動をしていこうかと思います。共働き世帯が半数を超え、女性は今後もさらに活躍していくはず。それを見据え、市民権を獲得するために、ガンガン発信していきます。

 

 どうぞよろしくお願いします。

 

 今回の決断は、自分なりに大きなターニングポイント、人生の転機になるかもしれません。40代半ばの働き盛り真っ最中、決断に至るまで、大いに逡巡し、葛藤し、思い悩み、苦しみました。

 

 しかし、最後は極めてシンプルに「家族は一緒にいるべし」と考えました。現実的に考えても、妻がひとりで幼子2人を抱えながら、異国での生活を立ち上げ、働くというのは相当な労苦です。国内と異なり、両親の支援はあり得ません。

 

 小さい子にとって、父親がいないのと、母親がいないのとでは、雲泥の差があります。父親が日本に残り、二児を育てるということはさらにリアリティーを欠き、ワタシの職場の理解は得られることはないでしょう。転職ならぬ職転(配置転換)を余儀なくされたはず。

 

 そう考えると、初めからこの選択肢しかなかったのかもしれない。それを後ろ盾してくれたのは、配偶者の海外赴任による同行休職制度に他なりません。

 どんな仕事であれ職を失って、妻に同行して海外で暮らす、、というリスクを背負いこむだけの胆力はワタシにはありません。

 

 さはさりながら、仕事をしなくていい気楽さは何物にも代えがたいものがあります。日夜、ストレスにさらされていた精神状態も好転するはず。自分なりに、やりたいこと、やらねばならぬことを色々と考えています。しっかり計画をたてて、悔いなき駐夫生活を送りたいと思います。

 

 

 ※お恥ずかしながら、昨年12月中旬の渡米時の心境等々を遡って書いています。この記事よりも前のものと時制が前後しています。読みにくくて、すいません。

 

 ※本ブログにて、旧ブログの残滓が一部残っています。同じIDを利用しているためですが、消すのも忍びないので、そのまま残しておきます。分かりやすく、読みやすくするために、テーマ別では「旧ブログ」に収納しました。

 

 

 

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