駐夫・主夫としての心境

駐夫と駐妻は良好関係を保てるか?

 駐夫、主夫になってから、4か月が経過した。

 米国で、主夫がスタンダードであることは、以前のブログ(米国で主夫はどう見られている? – ちゅうおっと(駐夫)のアメリカ主夫・育児奮闘記@ニューヨーク・ニュージャージー)で記した。その点において、この国で主夫であることを何ら卑下する必要はないとあらためて思う。

 

 しかし、駐夫となると、どうだろうか。米国に駐在する夫だから、当然だが、外国人だ。調べたことも尋ねたこともないが、恐らくレアだと思う。

 米国引っ越しが決まった後、都内で通っていた英会話教室で、ある講師に出会った。なんでも、その彼は、妻の赴任で米国から日本に来ていた駐夫。バイトで講師をしており、主夫をしているとのことだった。

 彼にもう少し、米国での駐夫事情を聞いておけばよかったな。 

 

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   思いを伝える際、「ONE WAY」ではままならない!

 

 

 

 さて、タイトルの本題である。 

 

 駐夫と駐妻。「ちゅうづま」は、人口に膾炙されているとまでは言えないが、勝ち組の一例、エレガントな生活を送るイメージ像などとして、世間に広く知られている。

 かたや、「ちゅうおっと」は、私自身が現在全力で言葉を普及中であり、世間の印象はよく分からないのが実像だろう。(もっと頑張ります・・・)

 

 漢字は一文字違うだけの両者。果たして、ケミストリーは合うのか否か。

 

 現時点での答は「YES and NO」。何とも言えない、さぁ、どうかな、という感じだ。

 

 子どもの学校の関係で、駐妻たちと連絡し、会って、話す機会がこのところ格段に増えてきた。お互い日本人同士、しかも異国で暮らしており、面と向かって嫌悪感を示されたり、警戒されたりはしていないと確信している、いや、思っているぐらいの表現にしておこう。

 

 基本的には、こちらの方がマイナーなので、メジャーに合わせるのが生きる術として正解だ。私自身、極力そうするよう努めているつもりだ。例えが適当かよく分からないが、女子会に飛び込んでいくようなものか。アウェー感を常に感じているが、何とか、何とか頑張っている。

 

 笑顔を浮かべ、ソフトに話しかけていれば、自ずと輪に入れる。というか、入れてもらえる。ただでさえ、男子は珍しいので、一発で覚えられるし、頼りにされ、何かと気をかけてもらえたりもする。

 

 その一方で、距離を自ら取るような姿勢を取り続けていると、どうなるのだろう。想像してみるだけで、末恐ろしい。親同士の関係が劣悪になると、親からいろいろ吹き込まれた子どもが、劣悪な親の子との関係にも思いっきり波及するはずだ。おそらく。 

 つまり、最終的に、泣くのは親ではなく、子どもになるのである。

 

 要は、こちら、駐夫側の意識、態度次第でいかようにもなってしまうということ。

 

 日本では、子どもは保育園に通っていたため、お付き合いするママさんたちは、みな、仕事をしていた。境遇も似ており、話も合わせやすかった。

 日々の仕事で関わる女性で結婚している人は、言わずもがな、働いている。こう考えると、専業主婦という人たちと話をしたことが、殆どなかったということがわかる。

 

 正直、駐妻たちと話が合わせやすいとは、とてもじゃないが言えない。

 ただ、ここまで書いてきて、逆転の発想が今、思い浮かんだ。

 

 「お互い働いていないもの同士」だから、家事やら料理、美味しいお店、子どものことなどをネタにすれば良いのだな、と!

 専業主婦と話が合わないと思ってた自分自身、仕事をしていた自分をまだまだ引きずっているということが、図らずも露呈してしまった・・・。

 

 表面上だけの笑顔じゃ、いずれ見透かされてしまうだろう。

 

「駐夫、主夫になったのだから、自分の内面こそ変えていかないといけない」。ということが、この文章を書いてみて、よく分かった。

 

 気持ち、思いを文章にすることによって、多少の客観性を持たせると、まだ知らない自分に出会えることがよく分かった。これこそ、自分にとって、ブログを書くことの意味、求めていた効能なのかもしれない。