駐夫です。
数日経っても、色あせるどころか、さらに重みを増しているイチローが引退試合直後の記者会見で披歴した言葉の数々。野球ファンのみならず、多くの人々の琴線に触れ、記憶に残る発言となったに違いない。含蓄あり、内容も色濃く、大いに楽しませてくれた1時間超だった。
勇気づけられた人、励まされた人、人生のエールを送られた気分になった人、あるいは不快に思った人。受け止め方は人それぞれだが、スーパースターの生き方の片鱗を余すことなく見せてくれた。
表現力に富み、語彙も豊富。いつもながらのユーモアを交えつつ、あの日の会見では、泣かないために、あえて時折記者を茶化したり、笑いを取ったりしているうようにも見えた。
私とは1歳違い。2001年のルーキーイヤーの夏、シアトルまで飛び、2試合を見た記憶は今でも新鮮だ。ちょうど、シーズン100勝目の試合。トップバッター・イチローが打って、走って、守って、魅せて、クローザー・佐々木が華麗に締めくくった。街の雰囲気も、イチロー加入で厚みを増したマリナーズを皆で応援しようという雰囲気だった。
いつもながら、前置きが長くなった。
私は2017年12月以降、初めて外国人となり、米国で暮らしている。MLB、NPBをこよなく愛し、そして同年代のスーパースター、日本の至宝・イチローを愛するファンとして、心に残った言葉を3つ紹介してみたい。これに加えて、外国人としての視点も交えている。
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外国人になったことで、今までなかった自分が現れた
「それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから。このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。この体験というのは、本を読んだり情報をとることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので」
会見の最終盤、昨年来、球団会長付き特別補佐となって以来の孤独感の有無を尋ねる質問。応答冒頭で、孤独感の存在を完全否定した上で、飛び出した言葉だ。
「それ(孤独感)とは違うかもしれない」とあえて持ち出した上で、外国人して米国で過ごした19年間の思いを卒直に吐露したシーンだった。
私には、この言葉が最も心に強く刻まれ、大いに共感した。今の自分になぞらえて、この言葉が持つ意味、実感がものすごく分かるためだ。
イチローの言う通り、外国人になるということはまだまだ特殊なことだ。旅行でちょこっと海外を訪れるのとは訳が違う。日本以外の国で暮らし、異なる文化、言語、食事、慣習等々に慣れるのがこんなに大変なことだとは、私自身経験してみて初めて分かった。
逆にいえば、経験してみないと分からないということ。「体験しないと自分の中からは生まれない」。まさに、この点だ。
この発言に大いに感化されたため、ツイッターで投稿したところ、実に多くの方から「いいね」やリツイートを頂き、海外在住日本人、あるいは海外在住経験者の日本人からコメントを頂戴した。思うところは私と同じだったようで、外国人になるという貴重な経験を積み、そこから導かれる様々な気付きや思いが交錯していることを再認識した。
ニューヨークというのは、うん・・・。厳しいとこでしたね。
「アメリカのファンの方々は、最初は、まぁ厳しかったですよ。そりゃあまあ2001年の最初のキャンプなんかは『日本に帰れ』ってしょっちゅう言われましたよ。だけど、結果を残した後の敬意というのは…うーん。これを評価するというのかはわからないですけど。『手のひらを返す』という言い方もできてしまいますすので。ただ、言葉ではなくて行動で返したときの敬意の示し方というのは、その迫力はあるなという印象ですよね。
なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後は、すごく近くなるというような印象で。ガッチリ関係ができあがる。シアトルのファンとはそれができたような。それは僕の勝手な印象ですけど。
でまあ、ニューヨークというのは、うん…。厳しいとこでしたね。でも、やればそれこそ、どこよりも、どのエリアの人たちよりも熱い思いがある」
「 ニューヨークに行った後ぐらいからですかね。人に喜んでもらえることが、一番の喜びに変わってきたんですね。その点で、ファンの方々の存在無くしては、自分のエネルギーは全く生まれないと言っても良いと思います」
「引退というよりは、『クビになるんじゃないか』というのはいつもありましたね。ニューヨーク行ってからは毎日そんな感じです。ニューヨーク、マイアミもそうでしたけど。
ニューヨークって、みなさんご存知かどうかわからないですけど特殊な場所です」
ニューヨークという街が持つ独特の厳しさを、あのイチローが抱いていたのはかなり意外ではあった。マリナーズから希望トレードのような形で、大陸を横断し、ヤンキースへ。結果を出さないと、手ぐすね引いたニューヨークメディアからこてんぱんに叩かれる。
温かいシアトルから、厳しいニューヨークへ飛び、ファンの反応、メディアの反応の違いに戸惑っていたのだろう。そんな中で、全盛期を超えつつある自らを認識させられたのが、試合に毎試合出られるかどうかわからない、という現状を突き付けられたことだったに違いない。
縦縞ユニフォームでのプレーがあまり記憶にないのはなぜだろうか。イチローとニューヨーク、そして常勝を義務付けられたヤンキースはあまり親和性がなかったのかもしれない。
いずれにせよ、「うん・・・。」と一拍置いた後、厳しいとこだったと心境を漏らした点が印象に残った。一方で、厳しさだけでなく、結果を出せば評価して、応えてくれる。声援を送ってくれる点も強調している。後段で紹介した、ファンとの距離感、ファンに喜んでもらえることの喜びを感じたのもニューヨークだったのか。
(日本プロ野球界に戻る考えは)なかったですね。
「なかったですね」
見事に言い切っていた。野手として海を初めて渡った際の心境は、相当な覚悟を込めていたはず。一度渡米したら、二度と日本でプレーするつもりはないとの思いだったのだろう。
あそこまで断言すると、聞いてる方が気持ちいい。
思えば、マリナーズ入団会見で野球少年のように目を輝かせ、上半身ユニフォーム姿でくるりと一回転したのを思い出す。
「野球だけでなくても良いんですよね、始めるものは。自分が熱中できるもの、夢中になれるものをみつけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので。そういうものを早く見つけて欲しいなと思います。
それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける。向かうことができると思います。それが見つからないと、壁が出てくると諦めてしまうということがあると思うので。
色々なことにトライして、自分に向くか向かないかというよりも、自分が好きなものを見つけてほしいなと思います」
もうひとつ、こどもに向かってのメッセージ。これもよかった。少年野球大会を毎年、シーズンオフに地元で開催しているイチロー。会見でも述べていたが、プロ・アマの間にある障壁を取っ払いたい思いは強いに違いない。
イチローが引退する日なんて、永遠に来ないのではないかと思わせるぐらい、高いパフォーマンスを発揮し、常にスーパースターだった。
いとも簡単にバットをさばき、相手投手を粉砕し、ダイヤモンドを縦横無尽に駆け回り、矢のような送球で、魅せていたイチローが、ヒットを打てなく日が来るなんて。世の中に、永遠というものはないということを知らされたような気がする。
この日も大いに泣いた。泣きに泣いた。涙が止まらなかった。
同世代のスーパースター、一時代を長らく牽引してきたイチローと同じ時期に、アメリかで過ごせたことはただただ嬉しく、光栄で、いくばくか誇りに思いたい。