駐夫です。
新元号は「令和」と決まり、発表された。いま、「れいわ」と打つと「令和」と出るのだから、その辺のIT技術というか、誠に恐れ入る限りだ。
中国古典ではなく、日本最古の書物・万葉集からの出典というのに、首相の強い意向を感じる。改元ムード、ご一新的な雰囲気を米国で味わうのはなかなか難しいが、新しき日本のスタートである。良き時代となりますよう、太平洋の向こう側から祈念する。
感じた印象を4つほど列挙すると
①「また『和』を使うのか」
➁「Rは息子のイニシャルだ」
③「現場に立ち会いたかった」
④「同期が首相に質問してた」
以下は、③について。。。
さて、政治記者から駐夫になって、1年4カ月弱。それ以降、今日3月31日(米国時間)が最も、全身が疼き、心湧き踊り、緊張した1日であった。要は、働きたかった、あの場にいたかった、ということだ。長年染み付いた血肉、精神が冷静であることを完全に妨げてくれた。
買い物やらで帰宅が遅くなったため、手抜きの肉・きつねうどんを家族につくりながら、NHKのストリーミング中継をちらちら。知ってる顔が画面に出るたび、懐かしさとともに、羨ましい思いが沸き上がる。それは、この歴史的な日に「記者として」参加できることに対してだ。
「陛下が生前退位の意向表明」と報道された日、その後、正式にビデオメッセージで退位の意向を表明された日。いずれも2016年前半の出来事だが、私は「首相官邸記者クラブ」の一員として、取材、執筆、先輩との折衝、後輩への指導と全力投球モードで働いていた。
私が知っている改元は昭和天皇が崩御され、今上天皇が引き継がれた事例のみ。「生前退位」という言葉自体、当初はまったくピンとこない状況からのスタートだった。
時間は移って、2019年4月1日(日本時間)。米東部時間は日曜夜で、こちらで言えばゴールデンタイムだ。NHKに合わせると、もう完全に国中が祝賀ムード一色。残念ながら、こちらにいると、そんなものはまったく皮膚感覚で味わえるはずもなく、ライブ感覚すらない。
そして、日本時間1日11:30am。若干、時間は押したが、菅官房長官がやや緊張しながらも、新元号を発表した。
6歳の長女、4歳の長男には必ず見るよう厳命し、長男は私の隣でソファにちょこんと座りながら見てくれていた。長女は、眠気に勝てず、見られなかった。
高校一年生で迎えた平成への改元劇。今でも鮮烈に覚えている。わが子に目に焼き付けてもらいたい、というのは親心もあるし、記者としての思いもある。数年後、長男が「覚えてる」と言ってくれるだけでも、私の心は救われる。
そして、あらためてだが歴史的なこの日に際し「あの場に参加したかった」。「オレは何をしてるんだ?」。こんなことをひとり思っていると、こちらで知り合ったママさんから「うずきますか? 仕事したいでしょう?」とのLINEが絶妙のタイミングで入る。
日経DUALや、本ブログ、インスタ等々のおかげで、すっかり私の属性、氏素性もばれているがゆえに、こういう気遣い、心遣いがにわかに働きたくなった病の私に妙に突き刺さる。
期間限定の駐夫、主夫業は、今に至っても山あり谷ありだ。日々の刺激に溢れる日本政治の最前線現場に長年いたため、あまりのギャップに苦しんだ当初から、実は何も成長していないのではないか、変わっていないのではないか・・・とも思わせてくれた新元号発表の日である。