駐夫です。
突然だが、アメリカにおいて、我々日本人はマイノリティである。いくら移民の国、多国籍人種が揃っているとはいえ、いくら42万超の邦人が米国内に住んでいるとはいえ、マジョリティであるはずはない。
仮に日本人が国際結婚したところで、グリーンカードを所得したところで、もともとの人種が変わらない以上、それは揺るぎない事実だ。
さて、
渡米以来、こちら在住の日本人との会話で大いに盛り上がるのは
①日米異文化の比較考察
➁自分がマイノリティになったこと
大きく分けて、この2つ。
いずれも、私も含めた皆々が、これまでの人生でどういう経験を積み、どんな人々と会い、何を考え、何を思い、何を感じ、今後の人生(本帰国後)で、どのように生きていきたいか、、という断面が見え隠れし、様々な意見が交錯する。そこで問われるのは、洞察力。
政治記者のバイブル、マックス・ウェーバーの「職業としての政治」で、政治家に必要な資質として、情熱、責任感と合わせて挙げられたのが洞察力。私が総理番記者として担当した小泉純一郎元首相は、ことあるごとに、この3つを繰り返していた。
話は脱線したが、本題は➁について。マイノリティになってみて、である。
46年間を振り返ってみて、自分が社会的マイノリティになった、と実感したのはあっただろうか。誤解を恐れずにあえて言えば、18歳からの浪人時代1年間かもしれない。授業料割引が効いていたとはいえ、とにかく金食い虫で、生産性ゼロの自分を常に卑下しつつ、道化的な笑いに転化させて、何とかやり過ごしていたというのが現時点の回想。その後は、自分で言うのもまったく変な話だが、まあまあの道を歩んできたのかなぁ、と思う。
仕事を休職し、駐夫・主夫となり、外国人としてアメリカで暮らすことは、二重の意味でマイノリティである。社会的弱者とまで言えるかどうかは分からないが、一外国人の日本人として、その中でもレアな存在である駐夫は、マイノリティの中のマイノリティだ。う~ん。
マイノリティに付き物なのは何と言っても、差別だ。差別に始まり、差別に終わると言っても過言ではない。日本人として受ける人種差別は多くの人が論じているので、ここでは避ける。
では、駐夫として差別を受けているかと言えば、正直なところ分からない。少なくとも、私が知り合った米国人からは違和感なく受け入れられている(と思っている)。一方で、在米日本人、特に同世代の選ばれし、米東海岸の男性駐在員と会うと、仕事してない感から来る若干の引け目を勝手に感じている自分が今でもいる。ただ、相手が私をどう思っているか、本心は読めない。ここから先を書くと、愚痴になりかねないので中止。
そうしたこと以上に、マイノリティになってみて、己の中で一番根付いたのは人権意識の高まりだ。国籍、人種、職業、障害者、一部の老人、恵まれない子ども、多様な性指向性(LGBT)の人々らに対する理解、慮る気持ち、注ぐ視線の変化は、日本にいたままだったらなかなか感じ取れなかったと思う。永田町、霞が関のわずか1キロ四方の価値観に染まっていたためだ。
彼、彼女らの置かれた境遇に思いを馳せ、想像してみる。多様な考え方や生き方を知り、幅広い価値観に触れてみると、自分自身が少しばかり進化、深化したように感じられる。さらに言えば、ほんのちょっと優しい人間になれたような気がする。
米国に厳然として存在している厳しい競争社会。建国以来、根強く残る各種差別。一方で、人権に対する強い問題意識も内包している。セクハラで、差別発言や書き込みで、時には射殺に至る人種差別等々で、これまで築いてきた立場を失った人々は、私の渡米以来でも枚挙に暇がない。
翻って、日本はどうか。ともすれば寛容な人権意識が横たわり、喉元過ぎれば・・・で何事も済まされている。相次ぐ政治家の耳を疑うような発言が日本から伝わってくる。更迭、辞任に至る例もあるが、辞任会見でも「一体、何に対して謝っているのか」「謝罪意識が本当にあるのか」と感じざるを得ない。
かくいう私も、本帰国後、米国生活で得られた収穫のひとつ、人権意識への高まりを失ってはならないと強く思う次第だ。
こちらのブログでも一部紹介したが、あれだけの実績を残した、日本の至宝・イチローでも感じたのが差別です。