駐夫です。
今日は、日本人にとって、決して忘れてはならない終戦記念日。
米国と戦争したことを知らない人(世代というよりも、学力層ではないか)が増えているとの信じがたい報道もある中、その米国で迎える二度目の8月15日。あらためて、國を思い、國のために犠牲になられた戦没者の皆様、ご遺族の皆様に、お祈り申し上げる。
政治記者は、8月15日はほぼマストで働かなければいけない日だ。というのも、総理が靖国神社に参拝するか否か、玉串料を奉納するか否か、国会議員は何人参拝するのか。などと、何かと慌ただしくなる日だからだ。
私が総理番をしていた2006年8月15日、小泉純一郎元総理はその信念に基づき、靖国神社を参拝した。一同、大わらわだったことを、この日になると必ず思い出す。
閑話休題。
結婚後も、バリバリ働き、稼ぎ、欲しいものを自分のお金で買ってきた人々。それが、ある日を境に、キャリアを中断して、配偶者の海外赴任に同行し、駐妻・駐夫となる。
現地で働かない限り、リモートワークでもしない限り、十中八九、収入ゼロになる。
その時、どうするか。どのような心境に至るか。そして、どう対処すべきか。
私自身、それほど重苦しく、深刻に思い詰めた記憶はない。雀の涙ほどの貯蓄に加え、会社を辞めていない=いつでも戻って復職できる、、との強みがあったためだろう。
そうではない場合、アイデンティティーの喪失やら、ともすれば配偶者にへりくだらなければいけない自分の発見、自分が価値がない人間になったのではないかとの思い、、さまざまな感情が押し寄せ、無力感にさいなまれ、自らを見失うことにもなりかねない。
ただ、ちょっと立ち止まって、考えてほしい。
収入ゼロになったから「生きてる意味がない」とか、「何も生み出さない人間になってしまった」、あるいは「お金の無心をするのが嫌だ」などと、絶対に思わないでほしい。
希望したか否かはともかく、駐在が決まった人間にとって、海外赴任は大変な緊張を伴うものだ。それはまた、その駐在員を心身ともに支える配偶者にも同じことが言える。何しろ、駐在員のみならず、配偶者、さらには子どもの生活環境、もっと言えば人生をも一変させるのだ。
引っ越し早々、会社に顔を出すことを余儀なくされ、早晩組織に組み込まれ、時差ボケのまま、働かざるを得ない駐在員たち。
そんな彼、彼女に代わって、異国での生活立ち上げ=セトルダウンを担い、まだストレスを明確に表現できない子どもたちの感情の揺れに向き合い、何しろ自分自身もあらゆる平衡感覚を保ちながら、あらゆる公的手続きを行い、銀行口座の設置、学校の手続き、家具の調達、引っ越しに立ち向かう等々、あらゆることに対する労力。
それだけでも、立派な労働だと、私は思う。金銭という対価はないが、これほど大変な作業は、世の中にそれほど存在しないと思う。
配偶者が働ける環境を整え、子どもが通学できたり、離乳食を食べられる環境を整え、家族が快適に生活できる家の環境を整え、そんな中でも、毎日の生活を続けていかなければならない。
それだけでも、何も生み出していない、、なんてことは決してない。あり得ない。あってはならない。
ましてや、生活が落ち着いてからも、異国での生活には何かとトラブルが起こり得る。望まなくても、巻き込まれることもある。
変化は、自ずと人を強くする。気付いてなくても、駐妻、駐夫の皆様は100%強くなっている。
ここから先で言いたいことは、以下のツイート3つに委ねることにする。