駐夫です。
3月5日にNJ第1号が、同じ自治体で出てから、1カ月が経過した。
この間の出来事を振り返ると、あまりにも色々なことがありすぎて、即座に思い出せない。いまだ恐怖感に包まれる中、緊張感ある生活を強いられ、あらゆるストレスが我が身を襲い、あらゆる意味で、耐性、生き抜く力、サバイバル能力が問われているなと。
4月5日現在、NJは37,505人。お隣NYは122,031人。震源地仲間、全米1、2の順位は変わらずだが、桁が異なっている。
古くは世界大恐慌、さらにはツインビル爆破、9・11、記憶に新しいのは、ハリケーン・サンディ。
NYは度々、自然災害、テロ災害に見舞われてきた。今回の忌々しい事態と、代表的な出来事である9・11で、人の心に与えている影響面から見た違いについて、しばし考えてみた。3点挙げてみたい。
いつ始まったのかよく分からず、終わりもよく分からない。後年、振り返るための機転日がない。
エポックとなる日付がよく分からず、いつまで続くのか、誰も分からない。いつの間にか始まっており、終わりが来るのか、あるいは来ないのかも分からない。
精神衛生上、ダラダラ続くというのは、非常によろしくない。加えて、後年になって、振り返るための「記念日」的な日付を明示することができず、ただただ悪しき記憶として、人々の記憶に刻まれることになる。
9・11から何年、というのは分かりやすいが、〇〇州で第一号が出たのから何年、というのはかなりしっくりこない。
敵の姿がまさに見えない。最後まで見ることができず、憎悪やら怒りの矛先がどこにもない。
まさしく、今回の敵は目に見えない。後になっても、見ることはできない。
自然を敵と捉えるのは、勇気がいることであるし、自然の道理には逆らえない。
9・11の場合、アルカイダによる犯行という見方が比較的早いうちに浮かび上がり、米国民の矛先は、アルカイダ、それを保護するアフガニスタンに向けられる、という構図が出来上がっていった。その流れの良しあし、アルカイダによる犯行だったのか否か、を論じるのは避けるが、米国はアフガン空爆、アフガン戦争突入に突き進んでいった。
為政者として、敵を明確につくることは、国民の意思統一につながるし、国民もその時点で精神的に一定の落ち着きを取り戻すことができる。
当時のイスラム系住民憎し、住民に対する脅しなどが頻発していたのを覚えている。彼らが米国旗を自宅に掲げ、被害から逃れるための苦肉の策を取っていたとの報道も記憶に残っている。
今回、アジア系住民に対するヘイトが米国のみならず、欧州でも起きている。言語道断であるのは言うまでもない。
心を寄せ合う場が物理的に作り得ない。
人は互いに助け合って生きていくもの。困った時こそ、同じ場に会し、心を寄せ合って、握手やハグを繰り返し、思いをそれぞれ受け止めて、支え合うことで、ここまで繁栄してきた。
今回、集会が禁じられ、握手やハグはあり得ない。6フィート(約1.8メートル)のソーシャル・ディスタンスを保たねばならず、人と人との距離は物理的のみならず、精神的にも離れてしまう。
これは、辛い経験をしている現在において、かなりしんどいことではないか。助け合い、支え合いができないのだから。オンラインでといっても、一定の限度がある。
自宅軟禁生活は4週目に突入する。人間なんて、弱いものだ。誰だって、精神的な振れ幅を持っている。その幅が広いか、狭いかは人によって異なる。
家族を持つ身として、精神的バランスには留意していきたい。