駐夫です。
唐突だが、皆さんは夫婦喧嘩はしているのだろうか。
「喧嘩するほど仲が良い」とはよく言ったもの。反面、喧嘩をしないことこそ、仲の良い証との声もあり、真相はよく分からない。まさしく、100組の夫婦があれば、100通りの類型があるのだろう。
わが夫婦は、下記リンク記事で書き込んだように、喧嘩というか、夫婦間バトル=本音でぶつかり合う機会が昨秋から増えている。なあなあでも何となく過ごせるし、実際に過ごせてきた日本では、アメリカのように、次から次へと決断を迫られることはない。二者択一ではなく「第三の答」や「先送り」、「ペンディング」が許される。
アメリカ生活では、子ども絡みのことも含めて、とにかく決断することが求められる。先送りすると、たいていロクなことがない。その結論を出す過程で、正面から向き合いながら、徹底的に話し合うことは避けられない。
となると、自ずと喧嘩のような形になる。声を張り上げる両親を見て、長男は一目散に私のところの飛んできて、猛烈な力(最近、体力がかなりついてきている)で私を両手で叩き始める(笑)。
子ども史観、子ども目線からすれば、私が50000%悪者なのだろう。それはさておき、お互い仕事をして、子どもも小さく、話す時間があるようでなかった東京時代と比較すると、今の方が夫婦関係は強まっていると確信している。
要は、異国を生き抜くためのパートナー、戦友としての意識が現れ始めたのだ。これは日本で暮らしていたら、起こりえなかった感情だと思う。聞いたことはないが、恐らく妻も同じ思いを抱いていると信じたい。
そこで結局、喧嘩をしたところで「結局は夫婦が協力しないと、子連れでの異国ライフを生き抜けない」という思いが沸き起こるのである。前向きな意味で、諦めにも近い認識。そのため、喧嘩、もとい言い争いを始めても、心のどこかでこの意識があるため、途中でお互い笑い始めたりする。心の余裕みたいなものだろうか。
お互い、こちらでの生活基盤が固まるまでは、お恥ずかしい話だが、かなりの頻度で喧嘩をした。双方、不慣れな海外生活、不自由な面も多々あり、適応するまでは余裕を持ちうるのは難しかった。そのイライラを相手にぶつけ、さらにイライラが昇華し、爆発することも多々あった。
今となれば、生活立ち上げ時の良き思い出だ。時間が解決してくれて、喧嘩も本気の喧嘩というものではなく、意見のぶつけ合いの延長みたいな位置づけになるには、少なくとも半年以上の日数が必要だった。
「雨降れば地固まる」。異国での夫婦関係を形容すると、この言葉がピタリとはまる。