ニュージャージー

家事・育児はすべて担うべきか 主夫の役割を考える

 駐夫です。

 

 主夫になって9か月。「主に夫」という字をどう読み解くかは自由だが、

家事・育児は100%担うべきなのか否か。少し考えてみたい。

 

 駐夫の家庭は、もともと共働きだ。妻は専業主婦ではないし、私も専業主夫ではなかった。育休、産休の際、双方がそれぞれ仕事を休んでいたため、一時的に専業状態になったことはあったが、振り返ると、それは一瞬の出来事だ。

 

 今回、渡米にあたり、私は休職という選択をした。こちらでは、働くことはできないので、主夫、もっと言えば専業主夫と言えよう。

 

 世の専業主婦、専業主夫は、どこまで家事・育児を分担しているのか。それとも、どちらかが100%担当しているのか。

 

 50代以上の人は、専業主婦(夫)世帯が大半であろうから、どちらかが100%負っているのだろうか。

 

 40代以下は、共働き世帯が半数を超えていると聞く。となれば、専業主婦(夫)家庭は半数以下ということになる。この分野に関し、40代以下と50代以上では、考え方が大きく隔たっている。

 専業主婦(夫)世帯でも「帰宅したらスーツを脱ぎっぱなしで、ポケットの中のものをすべて出してくれる。ごはんにお風呂は完璧に準備されていて、翌日のスーツ一式もすべて用意。靴もピカピカに磨かれている・・」なんて家庭はごく少数なのではないか。

 

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 BBQをするにも、涼しくなってきた東海岸。今年はあと何回できるかな?

 

 そこで、私の話。共働き時代でも、膝を詰めて話し合ったわけではないが、私と妻との間では何となく役割を分担していた。休日の料理や洗濯、掃除、ゴミ出し、子どもの送り、洋服のチョイス等々。

 一方で、激務続きの平日は、なかなか子どもの顔を見る時間に帰れなかったため、歯磨きと寝かしつけはほとんで関与していなかった。よって、これが今でも苦手だ。

 

 歯磨きと寝かしつけ。1日を締めくくる重要な育児イベントだ。実は、この2つは渡米後も妻に任せっきりだ。正確に言うと、協力はしているのだが、メーン担当は妻。私は、歯磨き粉をつけたり、コップの片づけ、絵本読み。隣には、常に妻がおり、出来ることは限られている。

 

 ならびに妻にお願いしているのが朝のこどもの弁当作り。出社が早いため、渡米当初から妻が2人分をこしらえている。

 

 これ以外のほぼすべてについては、私が担当だ。いちいち列挙するまでもないが、家事・育児でやることは様々。もちろん、メーンの家事・育児こそ今の私の仕事なので、それは文句もないし、いちゃもんのつけようもない。当然だ。

 

 ただ、夫婦間のベースの考え方は「できることは私がやり、できないことは妻がやる」「それぞれが、できることをすればいいじゃないか。共働き時代もやっていたんだから、その延長線上に過ぎない」というものだ。キャリアの共同形成を図ってきた以上、その考えはお互い、いささかも揺るぎない。

 まして、歯磨き、寝かしつけができないことを自己正当化しているわけでもない。

 

 

 慣れない海外に配偶者同行で転居してきたのだから、家事・育児はすべてすべきではないか。こんな指摘もあろう。

 周りを見渡すと、日本とほぼ半日の時差のある東海岸で、完全に日本時間に合わせた勤務を強いられているパパ、ママが目立つ。会議時刻の設定、日本からの連絡はすべて日本本社の都合に合わせられるため、こちらの時間の深夜に会社まで出向いて会議に出掛けたり、徹夜を強いられるような激務だと聞く。

 そうした場合は、妻ないしは夫が家事・育児をすべて100%しているかと言えば、そんなことはない。基本的に駐在員は30代がメーンだ。40代後半に差し掛かっている駐夫よりも、考え方はクリアだ。平日できない分、土日は家事・育児に参画しているパパ、ママが多い。(私の周りでは)

 

 もはや昭和の伝統的な価値観、家族観は完全に崩壊し、サザエさんのような家庭は見受けられない。サザエさんが浮世離れしすぎて、視聴者は遠ざかり、お台場局は苦戦しているようだ。浪平、マスオさんは物珍しいライフスタイルに他ならないのであろう。

 

 結婚披露宴で「こどもは三人つくった方がいい」などと、今ならセクハラ、パワハラで一発アウトのようなスピーチが跋扈していた時代。女性は、結婚イコール退社を意味し、家庭に入り、ほぼすべての家事・育児を担う。男性は、焼け野原からの復興を目指し、日本式経営の三種の神器に守られ、右肩上がりを謳歌しながら、猛烈に働く。

 

 これは、もう親世代でおさらば。当時は、こうした画一的な枠からはみ出す家庭は、批判され、問題視され、近所の恰好のネタにされたことだろう。みなが同じ生活をしていたのだから。

 

 価値観が多様化し、常識が常識でなくなり、何が正しいか誰にも分からない時代。海外ライフを幼くして経験した帰国子女も増加した。

 大企業でも平気で業績不振になり、合従連衡は当たり前。若者たちは既存の社会システムへの全幅な信頼など持ちえず、海外大学への進学、NPOへの就職、はたまた起業といろいろだ。彼、彼女らが、昭和な家庭を築くことは50000%あり得ない。

 

 要は、違っていいのだ。違いを恐れる必要がどこにあろう。

 駐夫の家庭に照らせば「それぞれが、できることをすればいい」。100人家庭があれば、そこには100通りの夫婦がある。他人から何を言われようと、信じる道を突き進めばいいのだ。周りは周り。自分は自分。

 今日の結論はこれに尽きる。