駐夫・主夫としての心境

海外生活に慣れる=何かを諦める   「成仏」はたまた「解脱」か

 駐夫です。

 サブタイトルで驚いた人もいるかと思いますが、今日はずっと思っていることについて。

 海外生活に慣れるということは、私なりに突き詰めて結論づければ「何かを諦める」ことではないだろうか。

 渡米直後、日本で大変親しくしていただいた方に、マンハッタンで歓迎会を主催していただいた。その場での会話は「慣れましたか」「どうですか、主夫生活は」などから始まり、そのうち食事事情の話に。

 「NYには何でもありますよね」と、その場にいた他の出席者(全員NY歴1年以上)の皆さんが意見一致する中、「レモンサワーが呑みたいんですけど、『氷結』どっかで売ってないですか?」と発したところ、一同沈黙・・・。

 チーンを破った一言が「まだ、成仏してませんね」。続けて「海外で生きるには、多少の不便はしょうがないですよ」。追い打ちをかけるように「まず、ミツワ(注・米国在住者にとって、心のふるさととなる日系スーパー)に行く回数を減らすことですね」。

 海外生活3カ国目で豊富な経験を持つ主催してくださった方に、キツイ一言を浴び、この先、生活できるだろうかと思い悩んでしまった記憶が今でも鮮明です。

 ちなみに、米国では氷結は売ってませんし、そこら中にコンビニがあって、レモンサワーが手に入るような状況ではありません。

 米東海岸は、日本食料品の購入事情については、世界でもトップクラスで恵まれているとは思いますが、それでも日本とまったく同じ食料品が手に入り、日本と同じ食べ物が作れるわけではありません。

 言わずもがな、食事事情以外にも、医療、保険、運転マナー等々、違いがあるのは当然。これは米国以外のどこに行っても、日本とまったく同じ環境で生活することは、当然のことながら困難です。

 心の中で、ひとつひとつこれまで続けてきたことを諦め、新天地での暮らしに適応していく。その一方で、新しい地でまた別の楽しみ、喜びを見つけることで、諦めるだけでなく、新たな何かを吸収していく。トレードオフのような関係性。

 それができた時、初めて「海外生活に慣れた」と、胸を張って言えるのではないかと痛感します。そして、今、そのように言える自信は少なからずあります。

 最初の一時帰国では、コンビニ、ドラックストア、スーパーで大量に愛用品を購入し、スーツケースいっぱいにして帰米しました。ところが、回を重ねるにつれ、持ち帰る品数は減少、購買意欲も高まらなくなっていきました。

 

 成仏であり、解脱。仏教用語が持つ意味の深さを、しみじみと味わいながら、3年目の米国生活を歩んでいます。

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