駐夫です。
3月28日深夜時点で、我がNJ州の感染者は11124人となり、ついに1万人を突破してしまった。 死者は140人。お隣NY州は感染者52318人で5万人を超え、死者は728人。
NJで最初の感染者が出たのは3月5日で、1人。NYは5日の6人。いずれも、3週間あまりで、爆発的に増加している。
この2州が、米国における震源地「epicenter」となってしまい、この先もさらに増加していくのは必至だろう。両州知事とも連日、記者会見に臨み、最新の状況を伝えている。とりわけ、脚光を浴びているのは、NYのクオモ知事。数字を多く用いたパネルを効果的に使用して、説得力ある説明を続けている。多民族エリアを意識してか、話すスピードも抑え気味で、これは正直有難い。NYの各テレビネットワークも、11amメドの会見時には一斉にライブ中継に切り替える。
さて、
14日から始まった家族4人の軟禁生活は、2週間を超えたところ。子どもの学校の休校は、少なくとも4月17日まで延長されることが州知事から表明された。元々、10日から17日までは春休みだったので、実態としては2週間延びた形だ。
「まだ2週間」「もう2週間」。
自分の中で、二律背反の感想が反駁する。
この2週間。家事の準備などをしながら3時まで子どもの勉強を見て、少しのんびりしていると、あっと言う間に夕食の時間帯となる。夕食を終えると、家族でボードゲームなどをして楽しむ。気付けば、もう子どもを寝かさなければいけない時間だ。
1日があっと言う間に過ぎていく。一方で、1週間は長いなと思う。
カレンダーから、手帳から当面の予定が消え、白紙となった。紙の手帳にしたためている日記は、基本的に自宅での過ごし方、世の中の動きのみ、それらに対する所感のみとなっている。
NJは、21日から美容室・理容室、ネイルサロンなどは営業停止の命令がくだった。在宅勤務の義務付け、できる限りの自宅待機を要請するという形で、事実上の「外出禁止令」が出され、不要・不急の外出は一切禁じられた。
同居していない友人や家族と会うのは禁止、友だち同士で遊ぶのも禁止。屋外の散歩やジョギングなどの運動はOKだが、他人とは6フィート(約1・8メートル)の距離を保つよう求められた。
運動不足にならないよう、ひとりで何度かジョギングをしてみた。近所には、ジョギングと散歩、子どもの遊びにも適したストリートがあり、やはりというか、それなりに人が出ていた。
料理はできるだけ変化をつけるべく、妻と一緒に知恵を練っている。子どもたちを飽きさせないよう、お寿司づくり、餃子づくりに挑戦。地元の飲食店支援で、適度にデリバリー、ピックアップを交えて、多くの種類を味わえるようにしている。
買い物に出るのは、私だけにしている。子どもを連れて行くのは、あまりにもリスクが高い。食品のみならず、トイレットペーパーなどの生活必需品、ゲーム漬けにならないよう、米国で流行っているボードゲームをいくつか購入。上述の通り、これがなかなかのヒットで、家族が一つのことに没頭し、楽しみあえる貴重な時間となっている。
東京五輪は1年延期となった。自他ともに認める五輪好きではあるが、3月初旬から予定通りの開催はあり得ない、と確信していた。陸上・男子100メートル決勝など多くのチケットをゲットしていたとはいえ、事象は想像、予想をはるかに超えている次元だ。残念という気持ちは、正直に言って微塵もない。
米国政府(CDC、国務省)は、日本への渡航禁止レベルをさらに1段階引き上げた。返す刀か、日本政府も米国からの帰国者・入国者に対し、14日間の隔離をすることを閣議決定。日本から米国含めた全世界への渡航は、禁じられてまではいないが、上から2番目のレベルに引き上げられた。
所用で3月中の弾丸一時帰国を模索していたが、もはや完全に詰んだ。14日間も隔離されるなぞ、無理だ。米国で過ごすしかない。
世界最強国家が、その持ちうる総力を挙げて、この難局を封じ込もうと本気を出し始めている。一方で「自粛ムードを吹き飛ばそう」などと、不思議な雰囲気に包まれる、学校の再開宣言、桜の開花と重なった3連休で、すっかり気が緩んだ日本。
もはや安全なところは、世界中どこにもない。
あまりにも対照的な両国の対応に愕然とし、米国から日本の実情を知るにつけ、我が日本で米国のようなことが起こらないことを願い、祈るばかりだ。どうか、杞憂であってほしい。