駐夫・主夫としての心境

わが子のために何を残せるのか 集団教育は終わり?で、親は覚悟

 駐夫です。

 昨日、目にしたフェイスブックの投稿(猛烈に拡散されてる)で、教育に関する内容が頭にこびりついていて離れない。

 直感では分かっていたものの、文章化されたものを目にすると、あらためて事態の重大さを認識せざるを得ない。

 まずは引用した以下を。(出典はツイッター参照) 

学校はホームスクーリングが基本になり、集団授業は過去のになるでしょう。日本型の一斉入試は不可能になり、オンラインを通じたエッセイテストのような、欧米型AO入試をアレンジしたものが主流になると予想されます。この変化に対応できた学校や教育システムだけが生き残ることになるでしょう。息子も高校生になるころまではまともに学校がない生活を覚悟してますので、ノートPCを与えてクリエイティブに使えるように指導します。コロナ後の世界では、日本型の受験勉強より重要なことだと思います。

〇最大の問題
子供の教育では、一番の問題は、心の育ちと体力低下だと思います。感染リスクを封じながら、運動やソーシャルな学びの機会をいかに提供するか、親の知恵が試されます。
いずれにせよ、コロナ後はものすごい格差社会が待っていると思います。学んだものは誰にも奪われません。困難な幼少時代を強いられる子供たちに、心からのエールを送りたいと思います。

 

・集団授業は過去のものに

 

 わが子は幼児教育も含めて、ギリギリ集団教育を受けたことになる。

 今後、リモート教育がメインとなると、友だちや教育者とのリアルな触れ合いが成り立たなくなり、集団の中での立ち居振る舞い、友だちや先生との距離感などが養われず、およそ身に付かなくなる。

 いや、これからの社会は、そういうものが以前ほど不要になってしまうのかもしれない。

 集団の中で、自分の存在を確認し、他者との関係性を知り、自他を客観視していくという、これまででは当然だったことが失われてしまうのか。

日本型の一斉入試から、欧米型AO入試が主流に

 

 一同に受験会場に集まり、試験に臨むということ自体が物理的に不可能になってしまう。今のままの受験問題を、そのままオンラインに移行したところで、何が起きるかは自明だろう。不正行為が横行するだけだ。

 米国の大学受験は、エッセイやらスポーツなどの業績と勉強の成績を合わせて、志望校に送付。学校独自の試験というものはなく、提出した資料に基づき、合否が決定される。

 日本もこの種になると、何が起きるのか。

 過去問やらは、文字通り過去の遺物になり下がる。何のデータ、エビデンスにもならない。予備校の在り方も根底から変化していく。

 

・心の育ちと体力低下が最大の問題

 

 接触が避けられない集団スポーツは、当面の間できなくなる。距離を離れて、友だちと遊べるスポーツ、運動となると、限られてくる。

 大人になるに向け、体力を培い、健康であるために不可欠な運動を、いかにして家庭で実践していくのか。すぐに答えが出せない。

 心身ともに健康であるために、もうひとつ必要なのは、心の成長。内面的な成長をいかにして育んでいくか。前述の通り、友だちや先生と直接の触れ合いが限られていく中、親、きょうだいとの会話の中で、いかにして成長を図っていくか。

 オンライン教育となり、簡単に画面越しで形成される類のものではない。

待ち構える、すさまじい格差社会

 

 これもその通りだろう。

 学校集団教育が音を立てて崩れていく中、勉学面で子どもを支えていくのは、親が中心、というか親だけにならざるを得ない。

 来るべく格差社会に備え、わが子が勝ち抜いていくためには、親には相当な覚悟を持つことが迫られる。難しい教育環境の中、勉強だけでなく、体力増進、豊かな心の成長を、子どもにしっかりと学ばせないと、大変なことになりかねない。

学んだものは誰にも奪われない

 

 どんな状況であろうと、頭で考え、時には身体も使いながら、学習した成果は、他の誰のものでもなく、本人だけのモノになる。

 努力は裏切られることなく、誰にも盗まれることはない。与えることこそあれど。

 

 以上、5点をピックアップしてみたが、親子ともども、かなりハードな段階に入っていくことが分かる、分かってしまう。

 子どもの学校が閉鎖となり、5週間目に突入した。幸いにして、オンライン教育が充実した環境にあるため、子どもは学ぶ場を失うことなく、意欲的に取り組んでいる。

 無論、その過程において、先生方、学校関係者、カウンティ・タウンの教育関係者がどれほど苦労されたかを考えると、感謝の念しか浮かばない。

 整えられた環境を生かすも殺すも、それはすべて親次第。当初のプリント学習から、3週目にはオンラインに移行したため、付きっ切りは避けられているものの、片手間で面倒を見ることは不可能。自分の時間が、ほぼ削られていることに変わりはなく、その点におけるストレスは隠し切れない。

 ただ、近未来の学校教育像を想像ベースではあるが、知ってしまい、もはや自分云々のことに拘泥すること自体、間違いなのではないか、と考えてしまう。

 もはや、自分たちの世代が成長することは半ばあきらめ、将来世代の子どもたちに何を残せるのか、引き継げるのか、ということを真剣に考えなければいけないフェーズに差し掛かっている。

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