駐夫です。
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IKEAでみつけた巨大写真ポスター
さて、タイトルの通り、「親がこどもを言い訳にすることは、是か非か」
先日、駐妻の皆さんといろいろ突っ込んだお話をする機会があった。そこで、ある方が言っていたことが強烈に記憶に残っている。
「本当はもっと英語を勉強したいけど、できていない。でも、子どもを言い訳にはしたくない」。
思わず、う~ん、とうなってしまう。
私自身、何かにつけては、子どもの存在を言い訳にしたことが多々あるからだ。
「子どもがいるから、〇〇できない」
「子どものせいで、遅刻した」
「思い通りに進まないのは、子どもが原因だから」
こうして活字にしてみると、実に見苦しい文面だ。どれも、一度ならずに二度三度使ったことがある。これは、いけない。パパとして、男として、人として。
子どもを作ったのは自分に責任がある。育てるのも責任が伴うし、どのように育とうと責任を負うのは自分だ。当然の理である。
自分ができないこと、できなかったことを棚に上げ、わが子に責任を転嫁する。これを、将来、子どもが分別がついてきた時に知ったら、どういう気持ちになろうか。悲しむか、笑い飛ばすか、パパも大変だったんだね、と思ってくれるか否か。
ともあれ、子育てに関する責任の所在は親にある。重ねるが、これ当たり前。
わが子が赤ちゃんの頃、手がかかるのに辟易し「早く、大きくなってくれないかな」「もう少し、大きくなってくれれば、もっと時間が持てるのに」と思ったことが数度ある。自分に対する言い訳だ。
で、実際大きくなってくると、憎たらしくもなってくる。言うことも聞かなくなってくるし、親の物まねをしたりもする。そんな時は「そんなに大きくならなくてもいいよ」と独り言ちる。
勝手なものだ。
まとめると、これからは、子どもを言い訳にするまい。言い訳にはしてはならない。
日本からの報道をみるにつけ、子どもへの心身をめぐる虐待、その先にある悲しい出来事が依然として各地で起きているようだ。
彼、彼女らは、子どもの存在を言い訳にしているのかもしれない。「こいつがいなければ・・・」「こいつのせいで・・・」
書いてて悲しくなってきたので、筆を置く。