駐夫です。
唐突ですが、2013年11月創刊の「日経DUAL」が5周年を迎えました。
おめでとうございます!!!
長女誕生が2012年10月、長男誕生が2014年10月で、ちょうど合間の時期ですね。我が家は創刊直後から、妻が有料会員登録をしており、米国転居後の今も引き続き、お世話になっています。
並びに、下記記事で「パパ元年」と名付けられた2018年、様々なご縁から、末席ながらも、連載を持たせていただくことになりました。
枯れ木も山の賑わい的にではありますが、「共働き世帯応援メディア」にいくばくか貢献できているのかと思うと、光栄な気持ちと、それ以上に、心の中にじわりと広がる幸せな思いに満ち溢れています。(※このブログ記事は、タイアップ企画でも、コラボ企画でも、ヤラセでもありませんので、悪しからず笑笑)
米国でも、日本で共働き世帯だった方々は、軒並み購読してます。そうでなかった人々も、世界の中心・NYに駐在するぐらいの人々ですから、みな知ってます。知名度は抜群です。
わが身を振り返れば、長女誕生後は、ほとんど育児に参加しておらず、良いとこ取りだけしていた、なんちゃってイクメンでした。連載その1にも書きましたが、うんちと分かれば妻にスルーパスしてました。
創刊時の2013年11月といえば、担当する仕事が不遇な時期でした。日々、もやもやした思いを抱えていたころです。仕事も家庭も中途半端と言えましょう。
そんな頃でしたかね。妻が「こんなサイトあるよ」と教えてくれたのは。豊富な情報量と、ついつい次のページをクリックしてしまう、次ページの見出し。これまでにあり得なかったメディアの出現に、日々むさぼるように記事を読んでいました。
今回の連載にも書きましたが、2014年10月の長男誕生を受け、15年4月から1年間の育児休業に踏み切りました。記事には書きませんでしたが、取得の要因、背景には、DUALで受けた影響、インスピレーション、ヒントがあったのは言うまでもありません。その点においても、私の人生に大きなプラスの変化を与えてくれました。
ただただ、感謝です。
私がこれまで、なんだかんだ約20年間にわたり書いてきた記事は「政府や政治家、企業や容疑者がどうした、こうした」の記事ばかりでした。そこに、主観的要素を入れ込む余地はほとんどありません。客観報道の名のもと、記者レベルで記した主観はことごとく削除されるか、書き直されます。仮に残されたとしても「〇〇との見方がある」「✖✖とみられる」と、いわゆるありきたりな新聞表現にしかなりません。それが当たり前だと思うと、その通りにサラリーマン的に対応していた方が、波風は立ちませんし、楽です。とはいえ、今振り返ってみて「不満がなかったか」と尋ねられた際「ない」と言い切る自信はありません。
そんなことを続けてきた生活に一旦、休職としてピリオドを打ち、家族とともに渡米。憧れともいえるDUALから話を頂きました。この時、私自身の嬉しさはもとより、妻が私の数倍も喜んでくれたことを、今後も忘れることはないでしょう。
連載初回を書き始めた時、いわゆるDUAL風の文体にまったく馴染めなかったことに加え、自分の思い、感情、経験をストレートに書くことに戸惑いを隠せませんでした。職業病って、本当に怖いものです。
なんとか、初回を書き上げ、プロの編集者に朱入れしていただいた後、サイトにアップされた時の感激はひとしおでした。日本の友人、米国の知人、見知らぬ方から反響をいただき、感想をちょうだいし、DUALの破壊力をあらためて知りました。
2018年、パパたちが本音を語りだした「パパ元年」!!。実にステキで素晴らしい、キャッチーなネーミングです。
先に記したように私も、記事で本音を書けませんでした。世のパパたちも、社会人として、あるいは会社人として、本音を語ることはある種、タブーでしょう。家庭でも吐き出せず、夜の赤ちょうちんで酔った勢いで・・というのが関の山だと思います。
1972(昭和47)年生まれの私の世代は、共働き世代・育休世代になっているか、なっていないか分水嶺になります。
就職した96年以降、大企業がつぶれたり、外資に乗っ取られたり、合従連衡が相次いだりと、あり得ないことが連続して起きました。一つ下の世代は、就職するにあたり①ケータイ➁インターネット③外資ーをキーワードにして、私たちとは、明らかに異なる価値観で就職活動(当時は就活、という言葉はありませんでした笑)に臨んでいました。
第二次ベビーブームによる受験戦争、バブル崩壊後の就職難、就職後の日本社会・産業構造の激変に伴い、同級生たちの人生も多種多様です。私のように、ずっと同じ会社にいる人もいれば、プラスの転職を繰り返す人、地方にUターンした人。。。
さらに、就職してから中堅世代に差し掛かるころ、イクメンブーム、育休、共働きムーブメント、イクボス運動etcですから、価値観の激変についてこれない連中がいるのは、ある意味、致し方ないことかもしれません。まさに分水嶺、運命の分かれ道です。
少なくとも言えることは、私はそうはなりたくない。なるつもりもないし、なるはずがない。
これからも、自分が選択した道を信じ抜き、考え、悩みながらも、後悔することなく、前に進むことこそが、不肖・私に与えられた責務と思いながら、人生を歩んでいきたいと思っています。
あらためて、DUALに感謝しつつ、ひとまず筆を置きます。
2018年12月6日 米・NJにて
dual.nikkei.co.jp
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