駐夫です。
ウイルス禍以外のことを書きたいが、なかなかそうもいかず、どうしても収斂してしまうのが、辛く、しんどいところ。
そんな中「もし日本で共働きで、子ども2人だったら、どうなってたか?」という、たらればを考えてみた。
結論は、終了してただろう、、ということになろうか。やはり..
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私=メディアは出勤不可避、妻は在宅勤務?
米国でも、日本でも、メディア・報道はエッセンシャルワーカーの類となっている。米国メディアは、在宅勤務が一般的とも言えるが、日本はどうか。多少の制限、緩和策はあるかもしれないが、通常通り働いている人が多いと聞く。
電車に乗り、3密やらという現場に踏み込み、感染の恐怖に怯えながら、働いていたのだろう。店は早い時間に終わっているので、ストレス解消呑みもできず、ニュースは、基本的にほぼすべてがウイルス絡み。気が滅入っていたかもしれない。
ちなみに、妻は、在宅勤務に移行していたと思われる。
子どもの面倒は、妻が一手に引き受け
住んでいた区は、23区の中でも、オンライン学習が進んでいた数少ない自治体のひとつだが、知人に聞くと「およそ、オンラインなど言えない、お粗末なモノ」。
小学生、保育園児の2児を自宅に抱え、仕事をしながら、朝昼晩のごはんをつくり、子どもの面倒をひとりで見ていたはず。通っていた保育園は営業中のようだが、感染リスクを考えると、私が登園に反対していたと思う。小学校は休校で、近所にあった学童も開いているようだが、これも行かせなかったと思う。
となると、どうなっただろう。
今よりは手狭なマンションで24時間一緒。子ども、妻のストレスは溜まる一方で、修羅場と化していたかもしれない。私は「おいそれ」と在宅勤務をできる環境にもなく、そもそも許されなかっただろう。考えてみるだけで、恐ろしい。
実家に預けられず、親も頼れない。シッター×
困った時の親頼みが、今回はそうはならなかったはず。実家に預けようとしても、感染リスクを考慮して、そうはしなかったはず。そもそも、動き回る孫の面倒を四六時中押し付けるのも酷というもの。
日本にいた頃は、私も妻もシッターを使うことを、潔しとせず、他人が家に入り、子どもの面倒をみてもらう、、という考えは持ちえなかった。
よって、ワンオペ家事・育児となっていたであろう。外部の協力、外注化しないという点でも、詰んでいたかもしれない。
私が自宅にいて、妻は在宅勤務、学校閉校の今
そして、今。
上記の状況とは異なり、休職中の私は自宅におり、在宅勤務が一般化していた米国では、無論、外出禁止令もこれありで、妻は自宅で働いている。
子どもの小学校、幼稚園は閉鎖されて、10週間が経過。私が、子どもの面倒を見るのを避けられるはずもなく、理由もない。
幸いにして、ウイルス禍以前から家事は分担しているので、現在も分担は継続中。割合は多少変わり、妻の比率が上がっているかもしれないが、それほどコンフリクトが起きているわけでもない。
当時よりは、自宅の部屋構成に余裕があるため、息も詰まることなく、家族一緒に24時間過ごせていられる。
結論:やはり終わっていた、と思う
ないこと、ないことを想像しても、あまり意味があるとも思えないが、今回のことは、少しばかり考えてみた。
そして、結論としては、終わっていたと思う。
今回の事態を、どの国で、どのような環境で迎えたか、、というのは、それぞれの人間の今後の人生に深く関わってくると思う。
その辺は、いずれ書くつもりだ。