駐夫です。
「10日間の完全ワンオペ」は5日目を終え、何とか折り返し点を通過した。
娘の3日連続ギャン泣きは、阻止に成功。しばらく2日間は小康状態を保った
ものの、今宵は再び「パパなんか、大っ嫌い、ママぁ、ママぁ」と泣かれた。眠かったのか、そのままベッドで寝落ちしてくれたとはいえ、落ち込むものだ。
妻とシェアしていた家事・育児を一手に引き受けるのだから、おのずと自分の自由時間は(ほぼ)半分になる。一方で、労力は反比例して2倍、あるいはそれ以上。
一言でいえば「疲れる」。ただ、泣かれるとは言え、パパが完全に頼られてるわけだから、そこは男気に駆られるし、わが子が愛おしく思える。
仕事じゃないが、やりがいはある。達成感はよくわからないが。
朝食づくり。卵1つから、キミが2つ。いいことある予感と思ったら、やはり良いことが起きた!
少し考察。そもそも「ワンオペ育児」という言葉が出てきたのは、いつからだろうか。今では、かなり一般化した用語になっているが、どうなのだろう。
そもそも、専業主婦が当たり前だった時代の日本社会において、当然のように育児(家事)はワンオペだったはず。当たり前であり、当然だったわけだから、誰も疑問に思うことなく、時が経過してきたのだろう。
新しい言葉が生まれる時というのは、これまでと異なる概念やら、まったく違う状況などが出現した際、それ以前と区別するために、新ワードを用いて、定義づける必要があるという背景がある。異なる概念が出るということは、誰かが既成概念を疑問視し、別の概念を生み出すということだ。それを言葉という「記号」に当てはめ、次第に普及していくのだろうと思われる。
1人で家事・育児を担う状況を疑問に思い始めたのは、働くママさんたちだろうか。夫もいるのに、自分だけが押し付けられるのは「おかしい」と思い始め、その異常さを際立たせる言葉として、「ワンオペ」が出てきたのか否か。
いずれにせよ、もう完全に市民権を得た言葉なので、ワンオペ=特殊、、という図式が出来上がっているのは言うまでもない。誰が得をして、誰が損をしたのかは、人それぞれ、家庭それぞれによるだろう。
ワンオペは従前の対比概念であり、大変さを指し示す言葉として、定着した。大変さを強調する際、自らが置かれた状況を揶揄する際などに主に用いられている。
難解は話はこれくらいにする。
今回、完全ワンオペを余儀なくされてみて、さまざまな環境に置かれたママ、パパたちに思いを馳せた。その中には、シングルマザー、シングルファーザーが含まれる。彼女、彼らに対し、「ワンオペ」なんて軽々な言葉が使えるだろうか。私は無理だ。
ワンオペ・・・。
使い方によっては、人を傷つける言葉になりかねない。別に言葉狩りに与するつもりは毛頭ないが、肝に銘じたい。